昭和36年5月24日鹿児島県に生まれる。
幼少のころより、小児リウマチを抱える兄を見て育ち医療の道を志す。
昭和61年 診療放射線技師免許取得。
救急医療等を含め、30年以上病院で勤務し数多くの臨床経験を積む。
医療現場を見れば見るほど「人々を癒し、治療したい」という志が、強く芽生え診療放射線技師としての仕事に、疑問や限界を感じ東洋医学の世界に興味を持ち始め鍼灸師免許取得。
平成8年 独立開業し現在に至る。
何気ない、いつも通りの朝。突然おばあちゃんからそう言われた。アポロ11号が月面着陸に成功した瞬間を、モノクロの画面が伝える、そんな時代。
「今日は学校に行かなくていい」
とおばあちゃんの表情がとても悲しそうでもあり、不安そうでもあった。それからおばあちゃんとバスに乗った。行き先は入院していた兄ちゃんの所だった。車内、おばあちゃんは顔を隠していたが、何回か涙を拭いている。僕の兄はひどい小児リュウマチで、小さい頃からずっと病院と家を行ったり来たりしているような状態だった。でも手先が器用でいろんなものを僕に作ってくれた。だから僕はお兄ちゃんの事を大好きで尊敬していた。
病室のドアを開けると酸素吸入をした兄ちゃんが、やっとのことで息をしている。どうやら僕とおばあちゃんが呼ばれたのは、医者から「もう、手の施しようがないから、会わせたい人がいるのであれば今日中に呼んで下さい。」と言われたらしかった。
先に病室に来ていた母と姉も不安そうに兄を見つめている。兄の必死に生きようとする呼吸がハァー、ハァーと聞こえ、酸素吸入の泡がブクブクと音を立てる。僕の頭の中に、いろんな思い出が蘇ってくる。
ウルトラマンごっこをやると必ず僕が悪者で兄ちゃんがウルトラマンの役。
子供だった僕は
「兄ちゃんずるい!たまにはオレにもウルトラマンをやらせろ!」
と食ってかかったものだ。あっさり兄は、
「いいよ。賢二がウルトラマンで。」
と言うものの、3歳も年上の兄はウルトラマン役の僕を簡単にやっつけてしまう。それから二人で喧嘩。おばあちゃんはそれを笑いながら止めていた。でも今は、
「お兄ちゃん、ウルトラマンになってくれ…あんなに強かったじゃないか…」
小学校3年生の僕は本気でそう思った。とその時だった。ブクブクと音を立てて泡が急に遅くなりだし、
ブク、…ブク・・・・・。
消えた…兄ちゃんの呼吸が完全に止まった。
「正一、正一、死ぬなっっっ!!」「死んだらいややっっ!」
母、姉、おばあちゃん、みんなが兄の体を揺らした。どのくらいの時間が経ったのかは分からない。
でも奇跡が起きた。止まっていた泡がまた小さくゆっくり、プクプクと音を立てだした。兄が息を吹き返した。
あの日から、40年以上の月日が経ち、兄は今も頑張っている。
何回か高熱が出て危ないときもあったが結婚もし、子供も一人できた。
きちんと生活している。あの時兄に何が起きたのか、今の医学では到底説明できないであろう。でもあの時、兄は確かに僕たちの声に応えてくれた。人の生きる力、潜在的に眠る力はすごいなと思う。
二人の姉はその影響もあってか看護師を職業として選んだ。
そして、あの時の兄が今の僕を作ってくれた。
だから僕は鍼灸師としての仕事に誇りを持っている。
そして、診療放射線技師として西洋医学の現場で様々な経験・実績を30年ほど積んできたことも今の僕の大きな力になっている。
どうか、お体の症状で何か困ったことがある方は、是非、まえだ鍼灸院に足を運んでほしい。
きっと道が開けるはずだから。
人間には多くの力が眠っているのだから。
昭和49年5月26日大阪生まれ
5年間のOL生活を経て平成12年度よりまえだ鍼灸院に在籍。前田院長が持つ、鍼灸の本当の良さを多くの人に伝えるには女性スタッフの力が必要との考えに深く感銘し、化粧品会社や医療機器メーカーとともに東洋医学の理念を取り入れたメニューを考案、現在に至る。
日常生活の中で知らず知らずのうちに日々ストレスを抱え、病気ではないけれど何となく体調が優れない、気分的にもスッキリしないという症状に悩まされている方々は意外と多くいらっしゃるのではないでしょうか。身もココロも健康でなければ人は輝きません。一過性の美容・健康法とは根本的に異なる本物の技術をお客様に提供していきたいと思います。一人でも多くのお客様に出会えることを毎日楽しみにしております。
鍼灸やエステの世界に惹かれはじめたのは社会人になって5年目の頃。
ごく普通にOL生活を送っていたのですが、西洋医学的に診て全く病気ではないにも拘らず体調不良に悩まされ、その頃から急に肌トラブルも増え始めました。 手足はいつもキンキンに冷えて氷のよう。
足や体全体がパンパンにむくんでいる感じで朝から晩までずっと疲れがとれない。
肌はどんなに化粧水をつけても乾燥が治まらず、顎には頻繁にニキビが出来てすぐ化膿してしまう。
という思いからいろんなサロンや治療院に足を運びました。
しかしサロン通いをすればするほど、残念なことに強引な勧誘やセールスを行うところも多く、「本当に悩んでいる人のために納得のいく施術といえるのか」と疑問に思うようになりました。
当時今のような仕事と別世界にいた私が、生意気なことに、本当に悩んでいる人たちのために応えられるセラピストが必要だと考えはじめたのです。
思い切って会社勤めをやめ2000年にまえだ鍼灸院で働き始めました。
私は特に院長に体の症状など伝えてないのに、院長は私の手首に手を当てて(これを脈診【みゃくしん】といい東洋医学独特の診断方法です)、「むくみやすく 常に体が重だるい。特に足腰。
顔はほてっているように思うのに手先足先は夏でもいつも冷たい。
性格的には落ち込みやすいな・・・やろ?」とおっしゃい、ハリをしてくださいました。
3回から4回の施術で全ての症状がとれ、冷え性などは1回の施術で完治です。私は本当に驚いたのですが院長にしてみればその程度の施術結果は当たり前らしく、今後は美容の世界でもハリの素晴らしさを広めていきたいというお話を伺いました。
そしてそれには確実に結果の出せる美容的な商品と女性スタッフの力が必要だと。
その時私は、自分自身が肌のトラブルで悩んだ経験もあり、是非とも美容メニューの開発に取り組み、悩みを抱えている方の力になりたいと咄嗟に院長へ申し出たことを今でも鮮明に覚えています。
その後、多くの医療機器メーカーの方、化粧品会社の方が協力してくださって今のニキビケア(肌トラブルケア)のメニューが完成。
当院が治療院であるがゆえの「本物の技術の提示を」というコンセプトに、どの業者さんも賛同してくださって本当に協力的に動いてくださったことに感謝しています。
今日まで、20代の頃の私のように多くの肌トラブルを抱える人と向き合うことができました。
あっという間に月日は流れ、はじめの頃に担当させていただいたお客様はご結婚&ご出産をなさった方、肌が生まれ変わることによって自信が出て、仕事でキャリアを積んでいった方など様々です。
随分前に担当させていただいたお客様が遊びに来る感覚で、今でも気軽に来てくれます。